ホームエデュケーションというカタチ。

最近、いろいろなひとや本と出会う中で、フリースクールや、サドベリースクール、オルタナティブスクールといった、ふつうの学校とは少しちがったこどもたちひとりひとりのニーズや想いによりそう教育を行っている空間や取り組みにすごく興味を持っています。

そこで、いろいろな情報集めを

しているなかでであったのがこの本。

 

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ホームエデュケーションというカタチ。

家庭で育てていくという取り組みがあるんだーとはじめはおどろきました。

23人のホームエデュケーションを行う保護者の方々の体験記からたくさんのこと学ばせてもらいました。

以下は本文からわたしが気になったところなるほどとおもったところ、学んだところなどなどをぬきだしています。(1部私の方で変えさせていただいてます。) 

 

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日本では、教育といえば学校教育とかんがえられてしまう。


学校へ行ってあたりまえ、学校へ通うのは正常だか、不登校は異常、よくない、弱い、甘えなどといった否定的な見方が含まれる。


アメリカではホームエデュケーション出身者が大きく評価されたりもしている。


学校以外の学びのあり方を求めるこどもたち。


教科の枠組みに捕らわれない。何年で何を習うという壁を越えた『学び』の実践。


生きていく上で本当に必要なこと、子どもが興味をもったこと、疑問を持ったことを、必要と感じたときに学び、親子ともに取り組んでいく。


日々の生活の中に『学び』はいっぱい潜んでいる。


多様な育ちが気持ちよくできる社会の実現。


『オレはロボットじゃない』
どんなに嘆こうとも、もう『なってしまったものは、しょうがない』

そんな場面、姿形を変えて何度でも出くわすものだ
何度でも立ち上がれる力を育てよう
迷路の中にいるみたい。今まで自分を傷つけてきた人とか自分の境遇に恨みしかなかった。迷路を抜けたら恨み言は少なくなってポジティブにかんがえられようになった。自分は周りの人に恵まれている。

『ただ幸せな日々を積み重ねる』という小さいけれど鮮やかか魔法のこと。
モノトーンの写真のようだった表情が段々と色鮮やかになっていった。
大事なものを守るために自分で自分の気配を消していた。
バラバラで苦しかった心と身体と頭が初めて統合してきた。
自分が生きている。この自分自身と生きていく。という実感を、確かな手応えとともに、少しずつ確実に積み重ねていた。
好きなことを楽しみながら、心からの幸せに満ち足りて過ごす。そんな日々の積み重ねが、本人する諦めていた『社会への扉』をもう一度開ける原動力になってきていた。

いろんなひととつながりながら
家庭での毎日の暮らしをたいせつにやっていくことで、こどもがその子らしく生きられるようになると、自然とやりたいことを見つけ、社会とつながっていく。

本来の自分を取り戻す
親子にもたらした大切な時間と出会い

心から安心して休むことができないうちは何をさせようとしてもうまくいかない
こころから安心できたら、子どもは動き出せずにはいられない。
本当に見て、感じるべきはそのこのこころだったのに『外へ、外へ』答えを探しに行ってしまっていた。
ここからきっと何かが変わる、そんなふうに思える日々嬉しく感じる。

ホームエデュケーションはひとつの通過点にすぎない、そのときそのとき必要かな
やりたいなとおもうことをしていければいい
家を起点(ベース)にテリトリーを少しずつ広げていく。

自分に軸足を置き、ものを考えていくじばんづくりをしていた

思う存分好きなこと。
好きなことから人間関係が広がり、じしんがついてきた

時間的な余裕→キモチの余裕

学習=教科書を使った体系的なもの
ホームエデュケーションでは子どもが自分の興味や好奇心に沿ってさまざまなことをまなんでいる。親はそれを支援する。先進的。

不登校という経験がこの人生を豊かにしてくれたと言えるように。子が堂々と前を向けるような支えを。

人生には必要なことしかおこらない。
無駄な時間は一秒もなかった。
こどもの生きる力を信じ、見守ること。
成長とともに必要なことは自然と吸収していく。
凝り固まったレールやこだわりをひとつひとつほぐし、向き合うこと。
自分らしさと笑顔を取り戻した。
今の生き方が彼らの方法であり世界だとわかっていた。その中でどう生きていきたいのか、何が一番大切なのかを考えてきた。
こどもたちと好きなことについて目を輝かせて語り合う時間は宝物。

主体性=何かをする、しないも含めて自ら考え、判断し、行動すること。
やらせたいことを優先して、主体性を取り上げてしまっていた。
いつも矯正され、主体的に生きることをさせてもらえなかった。
本人の気持ちや欲求を大事にしていなかった。
生きる上で必要な土台となる感覚がないのに、人の中に入るなど怖くてできるはずがない。
一緒に一から始めよう。

思う存分喜怒哀楽をともにすると家族の距離が縮まり、エネルギーが貯まっていった。
縁のできた仲間と過ごす機会に恵まれみんながそれぞれの考えでそれぞれ素敵なことに気づいた。
正解を探していたけれど、家庭によってそれぞれ答えは違うし、それでよかった

『どこかに、だれかと。』
を望まなくなったのではなく、
『子どもたちが、自分を保てる場所に、人に』と考え方が少し変わった。
『小さなこと、少しのことから』
大きくて早い流れの中より、小さくてもゆっくりじっくり育つほうが、合う子どもたちもいる。

目の前にいる子どもの興味に寄り添うこと。
子どもは、どのような状況でも自分が選んだ道の上では、サバイバルしていく。
家庭生活こそが学びのベース。そこで自分らしくいられたら、世界のどこに行っても自分を見失わずに生きていける。

息子にあった育ち方を一から作る
あえての不登校
子供を親を家族をみんなで育んでいけたら

『これでいい、これがいい』
親自身がいきいきと。子どもたちはそれぞれのタイミングで進んでいる。

自分だけで見ていると見えないことも、いろいろな方の見方や考え方を聞くことで、発見したり思い違いに気づいたりすることがある。


学校を活用して成長する子もいれば、違う場所で成長する子もいる、教育は多様な選択肢があっていい、学校に行かないと社会性が育たないなんて嘘だ。私が自分の子で証明してみせる!

学校というのはたいていの子どもに適した場所であってもすべての子どもに向いている場所ではなく、平均的ではないオリジナルな育ち方がむいている子どももいる。
子どもが生きて笑えることは学校に通うことより大事
子どもと同じ側にたった。
ちゃんと根をはることができれば、こどもは伸びたいと望む。
自分が生きるということを日々学ぶ。ちょっと扱いにくい自分を乗りこなしながら。誰かと比べたり無理に合わせたりしなきで、大切なことから学んでいる。

 

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この本から学んだこと。

親だってひとりの人間で。

不安だし迷いもたくさんあって。

だけど、
こどもをたいせつに想うからこそ。

期待もするし

生きてほしいと心から願うのだと思いました。

そして、そんな想いに

わたしたちはなかなか気づけなくて。

でも、その想いに気づけて

自分らしく生きることができれば

自然といろんなものが

自分の中にスッと入ってきて

自分から求めるようになるのだなと。

 

多様な教育のカタチ。

もっといろんなものを学んで引き出しを増やしていっぱいにしていきたいなとおもいました。