Dear My Mom...
ブログについて学ばせていただくとっても素敵な機会がありました。
いろんなひとの、いろんなこれまでがあって、いま、このときを共有している、ふしぎ。
だけど、ワクワクして、おもしろい、学びの空間。
一つの場所で、一つの機会が生まれて、それがきっかけとなって、ひととひととのつながりがうまれて、学びがうまれて、次に広がっていく。
やっぱりこういうのがいいなと思うし、スキです。
そんな中で、最後のワークとして12の質問に答えるというものがありました。
1つのブログ記事をだれのために書くか。
考えたときに、ふと、思いついたのが、お母さんでした。
小学校3年生のころから、ずっと『先生』になりたくて、そのための一本道をひたすらに歩いてきたわたし。
それが、大学に入っていろんな人の、いろんな生き方に出会う中で、少しずつ、あれ?なんか、わたし、ちがうかも‥‥
と、それまで、ほんとはこころの片隅にあった、だけど、ずっと、気づかない、みえないふりをしてきたものにやっと、自分で気づけて。
気づいてしまったら、もう、戻ることなんてできなくて。
スキなもの、スキなこと、いいなと思うものを大切にしながら、ていねいに自分の人生を生きている人たちとであって、その生き方、考え方にふれるうちに、わたしもこんな生き方をしたい。こうなりたい。。。
そんな、これからのわたしにワクワクするキモチがふくらんでいって、自分のことのはずなのに全然知らなかった、ほんとの自分が見つかっていく、新しい感覚があって。
わたし、先生になりたいわけじゃなくて、
そのとき憧れてた先生の『生き方』に憧れて
あんな大人になりたいとおもったのがはじまりで
それがたまたま『先生』というお仕事だったから。
ずっと長女として、親戚のなかでもお姉さんとして扱われてきて自分より小さい子どもと触れ合うことがスキだったから。
だから、『先生』という職につきたいと思ったんだなってことに気づいた瞬間がありました。
じゃあ、先生じゃなかったら何になりたいんだろ‥
そう考えた時に、これ!という職が見つからなくて
知らないことを知るのがスキだし、
ひととかかわることもスキだし
こどももスキだし
好きなことはたくさんあるけど
どれも仕事としてとなるとなんかちがうというか、ひとつにしぼることなんてできないし、なんか、とってもモヤモヤして。
わたしにとって仕事と暮らしをわけることはできないし、くらしのなかのひとつに仕事があるひと、いい意味で仕事と暮らしの境界があいまいな生き方のひとに憧れるなと思いました。
そう思った時に、今、先生になったとしてわたしはこどもたちにどうかかわることができるんだろう。何が伝えられるんだろうと考えた時に、これ!って言えるものがなくて。
わたし自身もっと学びたいことがたくさんあるからもっと学びたいし、もっと自分の好きなことをやったり考えたり自分のための時間がほしいなって思って。院に進学することや休学することも考えたりもしました。。。
自分の中でグルグルモヤモヤしてるキモチを自分の中だけで抑えきれなくなったとき、1番最初に話したいなって思ったのがお母さんでした。。
娘のしあわせを第一に願ってここまで育ててきてくれたお母さんにとってわたしのひとことは予想もしなかった衝撃的なひとことで。
大反対されました。
今も、これからの話題になると、なんとなく空気がバチバチしてしまうからその話は避けるようにしてるし、会っても思ってることを素直に伝えられません。
だけど、今日は思い切って、普段は、お母さんに絶対言わないし言えないけれど、お母さんへの想いをここに書きたいなと思います。
ここからは、お母さんへ手紙を書く感じで書きます。
お母さんへ。
いつも、心配ばかりかけてごめんなさい。
これまで、ずっと何があってもいちばんの味方でいてくれて、自分のことなんかいつも後回しでわたしたち娘のことを応援してくれるお母さんがいてくれたから、今のわたしがいます。
『先生になりたくない』
そう、わたしから聞いた時、きっとすごくショックだったよね。
娘のしあわせのためにこれまでいろんなことを我慢してきたのに。働いて働いてなんとか、大学まで入れて、先生になれるまであと少しなのに。どうして。確実に安定した道を進んでくれないのか。なんのためにここまで頑張ってきたのか。。。
きっと、いろんな想いがあふれてきたとおもいます。
余計な心配をかけて、悩ませてしまって、本当にごめんなさい。。。ほんとはこんな想いさせたくないんだけど。親不孝な娘だとわかっているのだけど。
でも、まず、わたしからお母さんにお願いしたいことがあります。
それは今のわたしをそのままのわたしとして、ひとりのひととして、受け入れてください。
お母さんのキモチ、全部ではないのかもだけれど、わたしなりにわかってるつもりです。
ダイスキで大切な家族にはしあわせになってほしい。
それはわたしも全く同じ想い。
家族はわたしにとって何があっても切れない、どんなことがあってもわたしの味方でいてくれる唯一の存在。
家族の存在なしに今のわたしはないと思ってるし、この家族の一員であれること、こころからしあわせに思ってます。
だから、わたしが我慢すれば全部解決するんじゃないか。そう思いました。
だけど、やっぱり自分のやりたいこと好きなことをやりたい!と諦めきれない思いもあって。
なんとかお母さんの想う娘になれるようにと思うけど、そう考えれば考えるほど苦しくて。
だから、うまく言えないけれど、
わたしはわたしで。お母さんはお母さんで。
これからもきっとわたしは変わっていくし。
お母さんも変わっていくと思うから、それでいいんだと思う。家族とはいっても、違って当たり前で全く一緒である必要はないんだと思う。認め合っていければ、それで。違うことを楽しめたらそれで。
これまで、わたしたちのためにほんとに頑張ってきてくれたから、もう解放されていいんだよ。
お母さんももっと自分の想いに素直に、自分の生きたいように自分の人生を楽しんで生きてほしいなって思うのです。
それがわたしの今のなによりの望みです。
お母さんはわたしのお母さんであることにはこれからもずっと変わらないし、わたしはお母さんの娘であることはこれからもずっと変わらないこと。
お母さんはお母さんである前に、ひとりのひとで。
家族として、お母さんとして、わたしにとって本当に大切な大事にしたいとこころからおもえる存在だから。
そんな、大切な人を大切にしていきていきたい。
それがわたしの今、いちばん大事にしたい生き方です。
それ以上は望みません。
半径5メートルをしあわせにできれば、それで。その輪を広げていけたら。それ以上のしあわせはないと思うのです。
ちっぽけだなと思われるのかもしれないけれど、それじゃ、世間から見るとしあわせではないのかもしれないけれど、わたしはたったひとりだとしても大切な人と一緒に時をすごして、誰かのなにかのきっかけになれたり、大切な人たちのこころにのこりつづける存在でありたいし、そんな生き方がしたいです。
正直、今は、ここまでが精一杯。
具体的には言えないし、不安にしかさせないし申し訳ないなと思う。けど、
ひとよりは時間はかかるし、失敗もたくさんするのかもしれないけれど
どうか、これからもひとりの娘として
あたたかく見守ってください。
うまく言えないし長くなってしまったけれど最後まで読んでくれてありがとう。
お母さんの娘であれること、
こころから誇りに思うし、
お母さんの娘として生まれてきて
今日を生きられること
本当にしあわせに思います。
いつも、いつも、
本当に本当にありがとう。
ダイスキです。
ひめより